1946年、
ニエーヴル県選出の国民議会議員となり、植民地相、国務相、法相などを歴任し、
第四共和政期の10年あまりをほぼ閣僚として過ごす。この間、フランスが
植民地の独立運動に直面していた
1953年には、「
ビゼルトから
カサブランカまで、北アフリカにおけるフランスの影響力の維持は私にとってあらゆる政治問題の中でも一番の課題である」と表明し、翌
1954年に
アルジェリア戦争が勃発した際には、国民議会において「アルジェリアの反徒は
戦争という最終形態しか見出せないのだ」と発言、反徒を射殺することを命じ、独立運動の鎮圧を図った。