1991年のオールスターゲーム(2試合制)では、第1戦で先発したため、第2戦では登板予定がなかった。しかし、第2戦が延長戦に突入し、他チームの選手を無理に引っ張ることのできなかった全セ監督・
藤田元司は槙原を登板させたが(控えに巨人の投手は槙原しかいなかった)、槙原は登板予定がなかったため上のユニフォームを持ってきておらず、ユニフォームと同じデザインのTシャツで投げるはめになった。これを最後にNPBのオールスターは、延長戦なし・9回打ち切りとなっている。
巨人では
斎藤雅樹、
桑田真澄とともに『
三本柱』と呼ばれるほどの投手であったが、この2人が投手のタイトルを数多く受賞する中、槙原だけはほとんどタイトルに恵まれなかったこともあり、常に3番手と見られる向きも少なくなかった。また、なかなか「12勝の壁」のジンクスを破れなかったこともその要因の一つと言える(
1993年の13勝が最高)。また、バックスクリーン3連発の翌
1986年にも、
広島との熾烈な優勝争いの終盤、
10月7日の最下位
ヤクルトとの一戦で
マーク・ブロハードに痛恨の一発を浴びるなど「ここ一番に弱い」というイメージが定着していた。
しかし、
1994年はそれを払拭。同年
5月18日に
福岡ドーム(現・福岡Yahoo!JAPANドーム)で行われた対広島戦で
完全試合を達成(ちなみに、最後の打者
御船英之の打ち上げたボールは
落合博満がキャッチ。これが
20世紀最後の日本プロ野球における完全試合達成者でこれをきっかけにTBS野球解説に就任すると「ミスター・パーフェクト」として紹介されている)するなど、巨人の4年ぶりのリーグ優勝に貢献。これ以降セ・パ両リーグを含め完全試合達成者はいない(
2005年8月27日、
西武ライオンズ所属の
西口文也投手が、対
東北楽天ゴールデンイーグルス戦にて9回を27人で抑えるも、延長10回表にヒットを打たれ、完全試合の快挙を逃している)。完全試合達成は引退会見の際に記者からの質問で「一番思い出に残っている試合はどれですか?」と聞かれた際に「そりゃ、あれですよ。あれしかないですよ。」と言ったほどで本人にとってプロ野球人生の中で最高の思い出となっている。なお、この完全試合を達成した試合は、巨人軍公式戦通算7000試合目と節目の試合であった。巨人が優勝を決めた
10.8決戦に先発登板して打ち込まれて勝利投手になれなかったものの、
西武ライオンズとの
日本シリーズでは
清原和博を完全に封じ、シリーズ
MVPも獲得した。なお、この2つの記録は斎藤も桑田も達成していない(ただし、斎藤と桑田はセ・リーグのMVPを獲得しているが、槙原はセ・リーグのMVPに選ばれていない)。