意次は父・意行が当時としては老齢になってから生まれた息子だった。意行は息子を授かるために七面大明神に帰依し、そして意次が生まれた。そのため意次は七面大明神に感謝し、家紋を七曜星に変更したといわれる。
宝暦11年(
1761年)、家重が死去した後も、世子の第10代将軍
徳川家治の信任は厚く、破竹の勢いで昇進し、
明和4年(
1767年)にはさらに5,000石加増、御用人から
側用人へと出世し
従四位下に進み2万石の
相良城主となって、明和6年(
1769年)には
侍従にあがり
老中格になる。
安永元年(
1772年)、
相良藩5万7,000石の大名に取り立てられ、老中を兼任し、前後10回の加増で僅か600石の旗本から5万7,000石の大名にまで昇進し、側用人から老中になった初めての人物となった。