ソ連共産党において、
スターリンの死後、集団指導体制のもとで暫定的な最高指導者となった
マレンコフは、権力の帰趨が定まらない状況下でスターリンの役職のうち「Председатель Совета Министров СССР(政府
閣僚評議会議長=首相)」のみを継承し、「Генеральный секретарь(党
書記長)」を名乗らず、「書記」職にとどまった(が、わずか1週間で書記を追われた)。
1953年に権力を掌握した
フルシチョフが、党首ではあるが「書記の一員」であることを含意して「第一書記」の称号を採用した。その後
スターリン批判の一環として、この称号は個人崇拝否定の象徴となったが、フルシチョフ
失脚後は、
ブレジネフによって
1966年に「書記長」に戻された。